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 ある夜、小夜の中山に住むお石という女が、菊川の里へ働きに行っての帰り中山の丸石の松の根元でお腹が痛くなり、苦しんでいる所へ、轟業右衛門(とどろきごうえもん)と云う者が通りかかり介抱していたが、お石が金を持っていることを知り殺して金を奪い逃げ去りました。

 

 その時お石は懐妊していたので傷口より子供が生まれ、お石の魂魄(こんぱく)が丸石にのりうつり、夜毎に泣きました。里人はおそれ、誰と言うとはなく、その石を「夜泣き石」と言うようになりました

 

 傷口から生まれた子どもは音八と名付けられ、久延寺の和尚に飴で育てられ、立派な若者となり大和の国の刃研師の弟子となりました。

 

 そこへ轟業右衛門が刃研にきたおり刃こぼれがあるので聞いたところ、「去る十数年前、小夜の中山の丸石の附近で妊婦を切り捨てた時に石にあたったのだ」と言ったので、母の仇とわかり名乗りをあげ、恨みをはらしました。

 

その後、弘法大師がこの話を聞き、お石に同情し石に仏号をきざみ立ち去ったということです。

                          文化元年滝沢馬琴の「石遺言響」より